ナース・ログと呼ぶ木

 ぐらばあ亭の露天風呂の湯船に身体を沈めると、前面に水田が拡がり、遠くには白山、奥越に繋がる高い山並みが霞み人を癒す。その山裾に一筆啓上の町丸岡(現坂井市)がある。作家 開高健の祖父母 開高弥作、カネはその地の出身で、国道8号線一本田交差点から300Mほど入ったところに、地元有志により建立された顕彰碑がある。開高健自筆で「悠々として急げ」と刻されている。言葉の意味すること、無骨ながら暖かさを感ずる字体、人柄を十分に表現している。開高は壽屋(現サントリー)で柳原良平、山口瞳等と共に宣伝部黄金時代を築き、トリスウィスキーの酒脱で生きのよい広告は一時代を創った。  開高は小説、旅行記、ドキュメンタリー、など多彩な分野に旺盛な作品を発表した。エッセイの中に「ナース・ログ」という言葉を見つけた。開高は晩年、釣りを活躍の場所にして、キングサーモンを求め毎年のようにアラスカの河川を渉猟した。そんな折、各所で風倒木を見つけ、現地では「ナース・ログ」と呼ばれていることを知る。  風倒木は倒れて風化しながら、一方で微生物が繁殖し、昆虫が住み付き、小動物がえさにして寄り付き、更に鷲・鷹などの猛禽類がやってくる。多様な生物が共生し生き継ぐことで自然を豊かに変える、守る。そのようにした一連の営みは風倒木がいかにも自然を看護しているかのようであり、現地の人は感謝をこめて「看護の木。ナース・ログ」と呼んでいる。  開高健、故郷の源流を鑑みて心温まる素敵な言葉はこの地にもある…。ちょっと長めの風呂になったが、ひとなつっこい貌(かお)が浮かんできた。平成元年 五十九歳、急ぎすぎた死去であった。

 平成二十四年  八月

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